ホンマタカシ x 飯沢耕太郎 トークイベント内容の公開

ホンマタカシ『Symphony その森の子供 mushrooms from the forest』2020 Paris Photo - Aperture Foundation PhotoBook Awardsの「PhotoBook of the Year」部門のショートリストに入りました。

これに伴い、今年2月に開催されました飯沢耕太郎とのトークイベントの内容を公開いたします!
この機会に是非ご覧ください。

ホンマタカシ × 飯沢耕太郎 トークイベント

日程:2020年2月6日(木)
場所:DOVER STREET MARKET GINZA 7F BIBLIOTHECA(ローズベーカリー銀座)

 

―― 本日は、ホンマタカシさんの2019年末に出版された写真集「Symphony その森の子供 mushrooms from the forest」の刊行にあわせてトークイベントを開催します。本書の前作にあたるのが、2011年に刊行された写真集「その森の子供」です。同年9~10月に福島の森を訪れ、そこに生えているキノコを撮影した作品で構成されます。

 

ホンマ(以下、H):
東北の震災があって、東京に住んでいる僕が一体何ができるか?
被災地の瓦礫をわざわざ撮りに行くつもりはまったくなかったんですけど、もともとキノコを撮影していたっていう経緯があって。
放射能によって汚染されたキノコを撮ることだったらできるかな、ということで行きました。

 

―― キノコは性質上、放射能の影響をものすごい受けやすいため、福島県は「福島の森でキノコを採ってはいけない」という条例を出しました。被写体のキノコも一見ふつうにみえますが、すべて放射能の影響を受けています。
blind gallery(※現在は閉廊)での刊行にあわせた写真展では、飯沢さんと菌類学の吹春俊光さんをお招きしてトークイベントを開催しました。それ以来の今日はおふたりでのお話の機会ですね。せっかくなので、前作から今回の作品までお話いただけたらと思います。よろしくお願いいたします。

 

飯沢(以下、I):
大変嬉しいことに、福島の森のなかのキノコを撮り続けていていらっしゃった。そのあたりのことをちょっとお訊きしたいです。

H:
そのあとも継続して撮りながら、「3年後の福島のキノコ」という作品を海外の雑誌で発表したりするなかで、「そこまで放射能のことを考えるならば、やっぱりチェルノブイリに行かなきゃな」ということになりました。
同時に、もともと音楽に興味があり、John Cage(ジョン・ケージ)が出てきました。作品「4分33秒」で有名ですが、一方でキノコ研究家としてすごくて、北米のキノコ協会の設立メンバーのひとりなんですよね。マンハッタンから1時間くらいでいけるストーニーポイントという森に十何年も住み、そこでキノコを研究した。それをちゃんと音楽と関係付けています。

I:
ここでキノコに開眼したんですよね。キノコのあり方をちゃんと踏まえて、いい文章書いています。ストーニーポイントは聖地のひとつなんで、巡礼に行きたいと思っていたところです。
そして、スカンジナビアがありますよね。

H:
実は震災前から撮っていました。スカンジナビアは日本と同じくらい多様なキノコがあり、かつ住んでいるひとたちの生活の一部になっているほど、特別な想いがあります。ところで、チェルノブイリの事故は最初隠蔽されていたんですが、スウェーデンで高濃度の放射能が検知されて、チェルノブイリ側が認めざるをえなくなった。風ですね。福島のときも、風がちょうど左斜め上に吹いたんですよ。チェルノブイリから左斜め上っていうのがスウェーデン。そういう共時性があって、どうしてもこの4つの地域をまとめて見てみたいなというのがありました。

I:
福島、スカンジナビア、チェルノブイリ、ストーニーポイント。という流れでできあがった写真集なのですね。
撮り方は福島の…?

H:
を、まったく踏襲しています。キノコっていうのは、ちょっとでも移動したらダメになっちゃうんですよね。みつけたらすぐに撮らなきゃならない。だから僕は、現場に白い紙を持っていってその場でノーライティングで撮っています。

I:
キノコの写真っていろいろあるけれど、ああいう撮り方したものは僕は他であまりみたことない。土とか菌糸がそのまま残ってますよね。

H:
震災前からキノコを撮ることに興味があって、それをどう撮ろうかといろいろ研究しました。実はキノコの本体は、地面の下の根っこなんですよ。

I:
これが「菌糸」といいます。細長い細胞が地面の下を這い回っている、と考える。だから、森のなかっていうのはキノコのネットワークなんですよね。

H:
あくまで菌糸込みで撮らないと「キノコ」とは言えないじゃないかな、と思い、ああいう撮り方をしています。

I:
キノコを見つけたときのある種の感動、驚き、喜び。どこかに持ち出して撮り直すとなるとどうしたって薄れてしまうのだから、その場であのようなかたちで撮ることは大事なことです。

H:
僕にとってはすごく写真的だなぁと思っていて、ストリートスナップ、マウンテンスナップみたいな。あれだけの量と実際に出会うっていうのが本当に難しくて。以前、付き合いのある太宰府から「山におもしろいキノコが生えたよ」って連絡がきたから、「すぐ行く!」って2日後に行ったら全然ないんですよ。前日に雨が降って流れちゃった。

I:
その話って本当にあって。森でキノコがあるなってそこに行くともうないんだよね。「撮るのも本当に大変だっただろうなぁ」と思いながら、「すごい、こんなのみたいなぁ」ってうらやましくてしょうがない。
そもそもホンマさんはなぜ、キノコにハマっていったのか?

H:
僕の作品は「ちゃんとコンセプトがあって、戦略的に撮られている」って言われがちなんですけど、実際は直感的なところがあって。キノコに関しても、理由なく惹かれました。
ロシア文学の沼野充義さんがチェーホフの新訳の本を出したときに、文芸系の雑誌の対談記事で、「トルストイとかドストエフスキーが大木だとすると、チェーホフはキノコだ」と。それを読んだときに、「あ、だから僕キノコがすきなんだ」って。僕やっぱりチェーホフの短編とか、日本で言うと夏目漱石とか森鴎外じゃなくて、内田百閒じゃないかな。そういうひとがすきなんです。

I:
大上段に構えた大文学者じゃなくて、小文字の文学者ね。

H:
そうですね。もっと言うと、まぁ、荒木経惟さんは今や大文字だけど、やっぱりこの「東京人の粋」みたいなものがあって、あまり恥ずかしいことはしたくないっていうのがあるじゃないですか。そういうところに惹かれるのかな。

I:
よくわかりますよ。20年ほど前にきのこ文学について研究を始めてから、モノの見方が変わりましたよね。基準が「キノコ的かキノコ的じゃないか」。下手に定義してしまうと二分法みたいなかたちですり抜けちゃうけれど、「これがキノコ的だな」って伝わってくるものにすごく惹かれます。今は僕なりに「写真評論家」と「きのこ文学評論家・研究家」と肩書きを一応分けているんだけど、将来的にはそれを合体させたい。写真の見方のなかで、僕にしてもホンマさんにしても「写真史」や「コンセプチュアル」のような枠組みでみられがちなんだけど、そうじゃない部分もたくさん持っている。これからそういうような、チェーホフ的な写真のあり方、アートのあり方について考えるような取り組みをしていきたいと思っているから、こういう場が本当にありがたいし嬉しい。
話ちょっと戻しまして、ストーニーポイント。ジョン・ケージについてもう少し語っていただきたいです。

H:
今って「わかりやすい歌モノ」っていうのがほとんどで、それが音楽だと思われている。けれど僕は、やっぱり「そうでない音楽」にどうしても惹かれちゃうんですよね。そうすると、結局ジョン・ケージに行き着く。彼の世捨て人的な姿勢というのにも惹かれるし。今の全世界的な状況において、キノコ、あるいはジョン・ケージのような生き方というか方向性、態度っていうのが本当に重要なんじゃないかなと。そうじゃないと、すごくわかりやすいもの、かつ保守的なものだけになっちゃう。

I:
よくわかりますよ。閉塞的っていうのかな。

H:
それはもう、写真だけという話ではなくて、社会とか政治とか、全部そういうことになっちゃうんじゃないかな。無駄な抵抗かもしれませんけれども、ちょっとの耳のなかに「ジョン・ケージ」っていう響きを残していただけたら嬉しいです。

I:
音楽に限らず、彼の自由で伸びやかな思考は、論理的な堅い方向に行くんじゃなくて、菌糸のように枝分かれしながら広がっていくというような方向がある。だから彼は必然的にキノコにハマったんですよ。ちょっとしたウィットが彼の作品のなかに感じられる。『MUSHROOM BOOK』(1972)はジョン・ケージの書いた詩のようなことばと、キノコ専門家の画家が描いた図像を合体させた素晴らしい本。「ここまでつくるか」っていう、ただならぬキノコ愛がある。そのストーニーポイントを捉えたということが、僕にとってこの写真集のすごく大事なところです。実際に行かれてどんな空気感、場所でしたか?

H:
ストーニーポイントに一番近い町が、実は結構保守的な街で。アーミーの基地があって、ガイガーカウンターの数値がかなり高い。そこを案内してもらって、ジョン・ケージがキノコを採っていたっていうあたりで撮影しました。そのときはそれほど撮れず、結局次の年も行きました。そう簡単には撮れないんですよ、本当にフレッシュな状態のキノコに出会うのはなかなか難しい。実際、ストーニーポイントとチェルノブイリは滞在時間が短いというせいもあって(作品)数も少ないです。

I:
一番多いのは福島?

H:
そうですね、あとスカンジナビアは3シーズンくらい行っています。

I:
これも僕の憧れの場所のひとつです。キノコがお花畑に咲いているみたいなそういう場所があるんですよ。

H:
スカンジナビアに関しては、本当に絵本のような、苔の芝生みたいなところに生えている。はじめてあれをみました、ストーンサークルみたいな…。

I:
「妖精の輪」(フェアリーリング)ですね。日本語では「菌輪」といいます。菌糸のかたまりである菌核から菌糸が放射線状に伸びるんですね。その先にできるから、キノコがまるく生える。フェアリーリングについて書かれた文章はシェイクスピアの時代からあります。キノコって魔術的なシンボルなんです。フェアリーリングの輪のなかに入ると、なんか特別なことが起こるとか、そういう伝承があったりします。
ところで、被写体としてのおもしろさってどうですか?被写体として撮っているときの喜びを感じる作品がたくさんあるけれども、他の被写体と比べてなにか印象的なものは?

H:
さっき話したように、直感的に撮影し、被写体を選んでいます。さっき「いろんなキノコの写真がある」とおっしゃってましたけど、実際そんなにシリアスな、有名な作品ってないんですよ。Paul Strand(ポール・ストランド)が一個あるくらい?

I:
実はAugust Sander(アウグスト・ザンダー)、それからEdward Weston(エドワード・ウェストン)も撮ってます。ただ、きれいなフォルムなんですね。ホンマさんのような写真っていうのはあまりないなぁ。

H:
Karl Blossfeldt(カール・ブロスフェルト)のなかにもないし。やっぱりスタジオに持ってくるまでの難しさがあるだと思う。そういう意味ですごく写真史的にもいいなと思っています。

I:
今後の展望はありますか?

H:
この先は、キノコに呼ばれたらそこに行って撮っていこうと思います。多分すぐ呼ばれるんで(笑)

 

(テキスト:錦多希子)