CASE TOKYOでは、今年8月11日に86歳で亡くなった浜口タカシの追悼特別展を開催いたします。「報道写真家」として語られることが多かった浜口ですが、近年ではタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー パリ(2014年)、タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム(2015年)でそれぞれ個展を開催し、芸術写真の分野でも精力的に活動を展開していました。本展では、1960年代末から70年代末にかけて展開された全共闘運動と成田闘争の二つの運動を捉えた記録から、2017年に東京都写真美術館に収蔵された作品群と同様の25点を展示する予定です。

1950年代に写真家として活動を開始した浜口は、社会のなかに生起する各種の事件や出来事を知覚する鋭敏さ、そして直ちに撮影する行動性のたくましさを兼ね備え、歴史的な局面をカメラに収めていきました。様々な場所、視点で撮られた写真群からは、戦後日本の激動の姿だけでなく、被写体や事件の核心にイメージをもってして迫ろうとする報道写真家としての熱意と感性、人間が人間らしく生きるにはどうあるべきかというヒューマニズムに対する姿勢が伝わってきます。

“ここには、イデオロギー的な立場や客観的な報道をめざすいわゆる報道写真家の立場でもない、「市井の一カメラマン」というアマチュア写真家としての態度が貫かれていると言ってよい。それは市民としての写真家と言いかえることもできるだろう。浜口タカシの市民としての態度は、決して「小市民的」なものではない。「否(ノン)」とはっきりと異議申し立てをすることの正当性を持った市民のものであるのだ。それゆえ、機動隊の暴力に対する学生たちの抵抗や国家権力によって蹂躙されてゆく三里塚の農民たちの生活に対して、浜口は第三者的に事態をみつめることができない。誰がなにをしようとしているのか、国家権力が農民や学生たちに対して、また農民や学生が国家権力に対して、どうしようとしているのかを直感的に見抜き、そしてカメラを持つ自身の位置を主体的に決めて、瞬間的にシャッターを切ってゆくのである。” — 金子隆一「反体制の眼 — 浜口タカシの写真」より抜粋

Artist

浜口タカシ Takashi HAMAGUCHI

1931年-2018年。静岡県に生まれる。学生時代は画家になることを夢見ていたが旧制中学校を卒業後、関西の写真材料店に勤務。その時に写真に出会いその魅力に惹かれる。1955年に横浜に移り住み小さな写真機店を開業した。翌年の1956年に毎日新聞社がアマチュアカメラマンの幅広い作画活動を通じて社会文化の向上を図ることを目的に土門拳、木村伊兵衛などを理事に迎え結成した日本報道写真連盟に加入。写真技術を学びながら写真家として積極的に取り組みはじめる。1959年4月10日、皇太子(現在の天皇)成婚パレードでの投石事件の記録的瞬間を捉えた写真が雑誌に採用され大きく取り上げられた。これが写真家としてのデビュー作品となり、その後9年間にわたり米軍基地周辺、新潟地震、大学闘争、成田闘争などの事件や問題を撮り続ける。

1968年、ニコンサロンで個展「記録と瞬間」を開催、翌年の1969年には最初の作品集を同タイトルで自費出版した。「記録と瞬間」に収録された「新潟地震」で毎日写真コンテスト内閣総理大臣賞、「米軍基地周辺(タイトルは基地周辺きょうもまた)」で『アサヒカメラ』誌上「日本のすがた」コンテスト最優秀賞を受賞。これを契機に日本写真家協会の会員となり本格的に写真家として歩み出す。1969年には「記録と瞬間」に収録されている大学闘争を撮った作品が注目を集め『大学闘争70年安保へ』が出版される。1971年1月から『日本カメラ』で2年間にわたり23回連載された「アングル」では、事件などの社会問題だけでなくユーモアや風刺を通して人間と社会を捉える視点が評価された。このシリーズは1973年に同社より『ドキュメント視覚』として出版された。1978年、12年間の長期にわたり撮り続けた三里塚闘争を『戦慄の成田空港』として出版。

その情熱は衰えることはなく、1982年に出版された『37年目の再会中国残留孤児の記録』では日本に一時帰国した全ての孤児を撮り収載。1985年には10数年通い撮り続けた北海道の記録を『北海讃歌』として出版した。これらの様々なテーマと並行して30年以上に渡り富士山を撮り続け、近年は加えて阪神大震災、火山の噴火、東日本大震災などを被写体に精力的に活動している。1997年、その長年の報道写真を通じての写真芸術への貢献を讃えられ、横浜文化賞(芸術部門)を受賞した。

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